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神戸地方裁判所 昭和47年(行ウ)6号 判決

原告 成満弘

被告 法務大臣 ほか一名

代理人 稲垣喬 山野義勝 西野清勝 宮本善介 ほか二名

主文

原告の被告らに対する請求は、すべて、これを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告法務大臣が昭和四七年一月一七日付で原告に対し、出入国管理令四九条一項による異議の申出を理由なしとした裁決はこれを取消す。

2  被告神戸入国管理事務所主任審査官酒井良一が昭和四七年二月九日付で原告に対して発付した退去強制命令はこれを取消す。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する被告らの答弁

主文同旨の判決

第二当事者の主張 <略>

第三証拠 <略>

理由

一  <証拠略>を総合すると、

原告は、昭和一八年七月二六日、尼崎市今北小袋三三番で韓国人である父訴外成鳳述と同じく韓国人である母朴との間に出生したが、その後昭和二四年頃家族とともに本籍地である韓国慶尚南道蔚州郡温陽面南倉里に帰国(原告が尼崎市で出生し、昭和二四年頃韓国に帰国した点については当事者間に争がない。)し、父は、原告の幼い時、日本で死亡し、原告が物心がついたときには母の手で養育されていたこと、昭和二九年頃、本籍地より原告ら家族は釜山市に転居し、朴は、同市で飲食店を営んだこと、そして、間もなく、日本人西尾が同店に住込み、同人が本邦に帰国するまで同店で働いたこと(西尾が同店で働いていたことは当事者間に争がない。)、原告は本籍地の温陽小学校に入学し、その後転居に伴い釜山市の大新小学校に転校し、同小学校を卒業後、同市内の大東中学校に入学、同校を卒業したこと、右卒業後、二年程京城市の親戚の家で廃品回収の仕事を手伝つたが、その後、釜山市の母の許に戻り、新聞や煉炭の配達等の仕事に従事していたこと、西尾は、昭和一六年頃、韓国人康東仁と結婚、戦前渡韓し二人の間に昭和一七年一二月、兼儀こと訴外康哲承が生れたが、昭和二七年頃、夫婦仲が悪くなり夫と別れたので、本邦に帰国しようと思い、独りで釜山市に出て来たところ、容易に本邦に帰国する手立てがなかつたので、同市で働いて帰国の時機の到来を待つことにし、前記のとおり昭和二九年頃より朴方で働くようになつたこと、ようやく、昭和三七年頃、在韓日本人が本邦に帰国出来ることになつたのを知り、西尾は実子康哲承を呼び寄せ二人で本邦に帰国しようとしていたところ、朴より原告及び朴の姪で実父が本邦にいる朴恵淑の二人をも西尾の子として連れて行くことを強く頼まれ、不正な方法と知り乍ら断り切れず、康哲承の外に原告及び朴恵淑も自分の子として帰国することにして帰国手続を進めていたところ、康哲承が西尾のところに来て自分は日本に帰らないと言つて来たので、これまで康哲承を本邦に連れて帰るべく準備していた西尾は落胆するとともに帰国手続をどのようにしてよいか困つていたところ、これを知つた朴の娘婿の李昌吉より後の手続は自分がやるから康哲承の身代りに原告の兄成寛弘も連れて行つてくれるように要請され、止むなくこれを承諾し、その後の帰国手続は李昌吉に任かせたこと、このようにして、成寛弘、原告、及び朴恵淑は、それぞれ、西尾の子で西尾兼儀昭和一七年一二月一〇日生、西尾兼安昭和一九年二月二四日生、西尾恵子昭和三〇年一一月一八日生として帰国手続がとられたこと、そして西尾、原告及び朴恵淑の三人は先に韓国釜山港を出港し、昭和三七年一二月一三日、本邦下関港に入国し(先行入国、原告が西尾に付随して本邦に入国したことは当事者間に争がない。)次いで翌昭和三八年一月に、成寛弘も本邦に入国したこと、その後、昭和三八年二月一六日、西尾は成寛弘、原告及び朴恵淑を自分の実子兼儀、兼安、及び恵子として前記の通りの生年月日にそれぞれ出生したとして出生届をしたこと(原告が右のとおり出生届をされたことは当事者間に争がない。)、原告ら三名は同年三月頃まで、神戸市兵庫区荒田町で同居していたが、その後は、原告と成寛弘は同市長田区松野通へ、西尾は恵子と共に東大阪市の西尾の姉の許に移つたが、その後再び原告と一緒に生活し、その頃、恵子は実父に引き取られたこと、その後、西尾は後記の如く原告らと共に東京都内へ移り、半年程一緒に暮らしたが、その後前記東大阪市の姉のところへ帰り、その後は、原告らと一緒に生活することはなかつたこと、

原告は、その後、神戸市内を転々とし、昭和四四年二月頃、日本人杉之原と知り合い同棲することとなり、その後、明石市に転居したこと、杉之原は、原告と交際しているうちに原告が韓国人であることを知るようになり、両親に原告との結婚の許しを求めたものの、原告が韓国人であるからとの理由で反対され、右反対を押し切つて原告との同棲を続けたこと、原告は、兄姉の経営するクラブ「コリア」に勤めていたが、右勤務先が東京に移つたので杉之原とともに東京都内に転居し、昭和四四年九月頃から安藤興業に雇傭され室内装飾の仕事に従事したこと、なお、杉之原はその頃、原告より同人が西尾の子として本邦に入国手続をとつた旨知らされたこと、同年一二月二四日、原告は妻の氏を称する婚姻届をして、杉之原の戸籍に入籍したこと(翌昭和四五年九月六日、長女律子が出生したことは当事者間に争がない。)、

原告は、安藤興業の会社員が韓国旅行をすることになつたのでこれに参加すべく、昭和四五年一〇月一三日、杉之原兼安名義の日本国旅券の交付をうけ、同月二八日韓国に向け出国し、同年一一月七日、本邦に入国したこと(本件入国、なお、原告が杉之原と婚姻し、右のとおり旅券交付を受け、韓国に出国し、再び本邦に入国したことは当事者間に争がない。)、本件入国後、原告は本件不法入国事件のため安藤興産をやめさせられ、その後、日本冷機と称する会社に勤めたが、昭和四九年頃より、自分でサルベージ業を始め、原告の生活もようやく経済的に楽になり、西尾にも月月若干の仕送りも出来るようになり、同女との交際は現在まで続いていること(昭和四七年九月一二日、双子の長男恒久、二男恒行の二子が生れたことは当事者間に争がない。)、現在、長女は浅茅小学校に、長男、二男は三軒茶屋幼稚園に通つており親子五人で生活していること、右子供三名は三年間の在留許可が与えられている外国人であること、以上の事実が認められ、これに反する<証拠略>は措信し難く、他にこれを覆すに足る証拠はない。

右事実によれば、原告は昭和一八年七月二六日、尼崎市今北小袋三三番で韓国人である父母との間に出生し、その後、昭和二四年頃、家族とともに本籍地である韓国慶尚南道蔚州郡温州面南倉里に帰国し、昭和二九年頃、母とともに釜山市に転居し、中学卒業後本邦入国迄は煉炭、新聞等の配達等の仕事に従事していたものであり、これによれば、原告は韓国籍を有することは明らかである。そして、原告は、昭和三七年一二月一三日、本邦に不法に入国するため、西尾の実子であるかの如く偽装し、日本人西尾兼安と称して本邦下関港に不法入国したものである。そして、西尾は右不法入国の事実を隠蔽するため、原告、成寛弘及び朴恵淑の三人を自分の実子として虚偽の出生届をなし、同女の戸籍に入籍せしめたものであるが、右出生届は真実の親子関係に基づかないものであるから毫も原告の国籍に影響を与えるものでないことは明らかである。そして右出生届は原告の不法入国を偽装するためになされたものと認められ、そこには真に養子縁組契約をしようという意思は認められず、従つて、右出生届をもつて養子縁組届とも認めることは出来ないところである。なお、仮りに右出生届をもつて養子縁組契約が成立していると認められるとしても右事実により原告の国籍に何等影響はなく、更に杉之原と婚姻し日本人杉之原の氏を称する婚姻届がなされた事実によつても原告の国籍に何等影響なきことは他言を要しないところである。原告の主張は採用できない。

二  そこで、原告の本件入国は日本国政府の発行した有効な旅券にもとづくものであるから違法でないとの主張について判断する。

令三条に所謂有効な旅券とは外国の旅券発行機関が当該外国人に対して適法な手続に従つて発付した旅券を指称するものであるところ、これを本件について見るに、前記認定のとおり、原告は韓国籍を有する外国人であるから、右にいう有効な旅券等とは韓国の旅券発付機関が適法に発付した旅券等でなければならないところ、前記認定事実によれば、原告は韓国旅行に際して日本人杉之原兼安の日本国旅券の発付をうけているが、右日本国旅券は令三条の有効な旅券に該当しないことは明らかであり、そして、原告の交付を受けた日本国旅券は日本人でない者が日本人を装つて発付をうけたものであるから日本国旅券としても効力がないと言わなければならない。蓋し、旅券法一八条一項一号の趣旨からも明らかであるように、旅券法は旅券の発付をうける者は日本国籍を有することを当然の前提としているからである。なお、原告は西尾の戸籍に入籍し、更に杉之原の氏を称する婚姻により日本人となつたものと錯誤したものであるというも、かかる錯誤は右日本国旅券の効力に何等影響を与えざるのみならず、前記認定によれば、原告は、昭和三七年一二月の先行不法入国時においては、当時既に満一九才になつており、右入国手続については直接自分が手続をとらなかつたとしても右不法入国の事実は十分に知つていることが推認でき、更に、西尾が原告、成寛弘、朴恵淑の三名も一度に養子にすることは通常考えられないところであり、然も原告の生年月日と異る生年月日や、自己の本名と異る日本人名西尾兼安と届出されている事実より見るとき、西尾の右出生届は不法入国を偽装するためのものであることを原告においては知つていたことが推認できるところであり、更に、原告は、杉之原に対しても自分は韓国人であるが、西尾の子として本邦に入国した右事実を告げており、従つて、杉之原も亦、右事実を知つており、これらの認識の下に、原告と杉之原は、婚姻届において日本人杉之原の氏を称する婚姻届がなされている事実が認められるところであり、これらの事情を総合勘案するときは、原告においては、西尾への戸籍の入籍、或は杉之原の氏を称する婚姻届により日本人となつたものとの錯誤があつたものとは考えられず、従つて、右日本国旅券の交付を受けた時点においても原告は自分は韓国人であるとの認識があつたことを認められるところであり、原告の右主張は採用し難いところである。以上によれば、原告の本件日本国旅券による入国は令三条の有効な旅券を所持せず本邦に入国したものというべきである。

三  次に本件退去強制手続について判断する。

<証拠略>によれば、神戸入管入国警備官は昭和四五年一二月一六日、原告を前記昭和三七年一二月一七日の不法入国(先行入国)の事実につき違反調査を行い、同所入国審査官は審査の結果、先行入国につき令二四条一号に該当すると認定し、原告より口頭審理の請求があつて、同所特別審理官が口頭審理の結果、右認定に誤りのない旨の判定を行つたので、右判定に対し原告より被告大臣に異議の申出があつたところ、その後、原告について本件入国の事実が新たに判明したので、被告大臣は前記異議の申出は理由がある旨の裁決をしたので、神戸入管被告主任審査官は原告にその旨通知したこと、以上の事実が認められ他にこれを覆すに足る証拠はない。

そして、昭和四六年九月二日、神戸入管入国審査官は、原告について本件入国の事実につき審査の結果、右事実につき令二四条一号、三条に該当すると認定したこと、同所特別審理官は原告の請求にもとづき口頭審理の結果、同日、右認定に誤りがない旨判定したこと、原告の被告大臣に対する異議の申出は、昭和四七年一月一七日理由がない旨の本件裁決がなされたこと、被告主任審査官が同年二月九日、原告に対し本件退令を発付したことについては当事者間に争がない。

四  ところで、原告は、被告らが先行入国の事実を対象としてその法的評価を問うべきであるのにこれをなさず、日本国旅券を使用して入国した本件入国の事実をもつて令二四条一号、三条に該当すると認定したことは誤りである旨主張する。

令二四条一号の趣旨は、不法に本邦に入国し、且つその不法入国にもとづいて不法に本邦に滞在する者を退去させることによつて違法状態を排除し、もつて外国人の出入国の秩序を維持せんとするにあると解せられるところ、前記認定事実によれば、原告の昭和三七年一二月一三日の先行入国は令二四条一号、三条に該当する不法入国と認められるが、昭和四五年一〇月二八日、一旦出国し、同年一一月七日、再び本邦に入国した場合には先行入国とこれに続く本邦における不法滞在は右出国により、最早、過去の違法事由となり、強制退去の事由となり得ないというべきである。令二四条一号、三条の規定により強制退去の事由となるのは、現在の不法滞在とこれに結びつく直近の不法入国の事実であり、従つて原告の右主張は採用できない。

五  以上によれば、原告の本件入国は令二四条一号、三条に該当するものであるから、これに対する入国審査官の右認定及び特別審理官の右判定並びに被告大臣の本件裁決における判断はいずれも正当というべく、そして令四九条五項によれば、被告主任審査官は被告大臣から特別審理官の判定に対する異議の申出が理由がないと裁決した旨の通知をうけた場合、速かに当該同令違反の容疑者に対し退令を発付すべきことを義務付けられているのであるから、被告主任審査官の本件退令発付処分も適法になされたものというべきである。

六  原告は、本件処分は確立した国際慣習法に反し、ひいては憲法九八条二項に違反すると主張する。

然し、原告の主張する一九五一年一一月インドのニユーデリーで開かれた国際赤十字の第一九回国際会議における「戦争・内乱その他の政治的紛争で生じた離散家族を再会させる決議」はその成立の過程、形式からも明らかな如く道義的なものであつて諸国家を拘束する効力をもつものではないことは明らかであり、他に原告主張の家族の保護、殊に、不法入国者の場合についてまでかかる保護を認めているという国際慣習法が確立していると認めるに足る証拠はない。従つて、原告のこの点の主張は採用できない。

七  韓国人に対する特別配慮について

原告は、在日韓国人に対する特別在留許可に関する法務大臣の裁量については、我が国と韓国との歴史的関係を踏まえて特別な配慮を必要とし、他の外国人と同様に出入国管理令を形式的に適用することは誤りであると主張する。在日韓国人の処遇に関しては、我が国と韓国との間に「日本国に居住する大韓民国国民の法的地位及び待遇に関する日本国と大韓民国との間の協定」(昭和四〇年条約第二八号)が存在し、一九四五年八月一五日以前から引き続き日本国に居住している大韓民国国民に永住許可を認め、かかる韓国人に対する退去強制事由を一般の外国人より厳しく限定し特別の配慮を行つていることは認められるところであり、更に法務大臣は、同協定の署名に際して平和条約発効までに入国した戦後入国者については好意的な取扱をする旨声明していることは被告らの認めるところであるが、原告については右協定及び法務大臣声明のいずれにも該当しないところであり、他に韓国人につき我が国との戦前からの特別な関係に鑑み特別の保護を与えるべき条約、国際法上の条理ないし慣行等の存在を認めるに足る証拠はなく、原告のこの主張は採用できない。

八  原告は、被告大臣が原告に対し在留特別許可を与えることなく原告の異議の申出を理由なしと裁決したことは裁量権の逸脱ないし濫用であり、従つて右裁決にもとづき被告主任審査官が発した本件退令発付処分も違法であると主張する。

先ず、原告は、法務大臣の令五〇条一項の裁決は、令施行規則三五条の各事由が存する限り法務大臣は理由ありとの裁決をしなければならないいわゆる覊束行為であると主張するので判断する。

思うに、令四五条ないし五〇条及び令施行規則三五条によれば外国人につき令二四条各号該当の有無に関してなされた入国審査官の認定に誤りがないとした特別審理官の判定に対し当該容疑者がなした異議の申出に基づき法務大臣がなす裁決は右申出の有無を判断する部分においては入国審査官の認定なる原処分に対する不服審査にあたるものであり、右の入国審査官の認定、特別審理官の判定、及び法務大臣の裁決は自由裁量の余地なく、この点は覊束行為である。即ち、法務大臣は令施行規則三五条の一号ないし三号の事由の有無について審査し判定すべく義務づけられているのである。然し乍ら法務大臣は、異議の申出が理由がないと認める場合でも令五〇条一項各号に該当する者でその者の在留を特別に許可することが相当であると認めたときは当該容疑者に対して特別許可をなしうるものであるが、この部分はもはや不服審査の域を脱し法務大臣の自由裁量による独立の領域に属するものと解すべきである。尤も、令施行規則三五条四号の規定によると、退去強制が甚だしく不当であることを理由とする異議の申出が許される場合があるかのように解されないでもないが、令中にはこれに関する何等の明文がないこと、及び令五〇条三号に異議の申出に理由がないと認められる場合でも法務大臣は裁決にあたつて特別事情があるときは在留特別許可をすることができる旨を規定している等の点を考え併せると令施行規則三五条四号は令四九条に対応する手続規定ではなく、令五〇条に対応する手続規定であり令五〇条の規定による法務大臣の在留特別許可処分の行われる場合を予想して、異議の申出の際にその許可処分を促すために主張することを許したものと解すべきである。

このように、法務大臣の裁決は、令の手続構造よりして令四九条の異議の申出に対する法務大臣の裁決は覊束行為であるが、法務大臣の令五〇条一項の特別許可の裁決はその自由裁量に委ねられているというべきであり、原告主張の令五〇条の法務大臣の裁決は覊束行為であるとの主張は採用し難いところである。

更に、原告は、法務大臣の特別在留許可処分の判断については憲法原則、確立された国際慣習、行政先例等より検出された判断基準が存するのであり、殊に行政先例は司法審査の対象となると主張する。

思うに、外国人の入国及び在留特別許可は、専ら当該国家の裁量により決定しうるものであつて特別の条約がない限り、国家は外国人の入国又は在留を許可すべき義務を負うものではないというのが国際慣習法上認められた原則であり、憲法においても、憲法二二条一項は、日本国内における居住、移転の自由を保障するに止まり、外国人が我が国に入国するについて規定していないのであり、憲法上、外国人は我が国に入国する自由を保障されているものでないのは勿論、特別在留許可を要求しうる権利を保障されているものでないというべきである。かかる前提の下に令五〇条は法務大臣の特別在留許可につき自由裁量による裁決権を規定しているのであり、かかる趣旨より考えるならば、その裁量の範囲は広範なものと解されるところである。蓋し、法務大臣は、特別在留許可の許否にあたつては、外国人に対する出入国の管理及び在留の規制の目的である国内治安の確保と善良の風俗の維持、保健衛生の確保、労働市場の安定等の国益保持の見地に立ち、申請者の個人事情のみならず国内の政治、経済、社会の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲諸般の事情を斟酌し、時宜に応じた的確な判断をしなければならないのであるが、このような判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任かせるのでなければ到底適切な結果を期待することができないものと考えられるからである。

尤も、法務大臣が特別在留許可をするに当りその裁量に任かされた事項について裁量の準則(それには先例の集積によるものも存在するものと考えられるが、)を定めることがあるとしても、このような準則は、本来、法務大臣の処分の妥当性を確保するためのものなのであるから処分が右準則に違背して行われたとしても原則として当・不当の問題を生ずるにとどまり、当然違法となるものでなく、それが法の認める裁量の範囲を超え又は濫用があつた場合に限り違法となるものであり、原告の右主張は採用できない。

そして、法務大臣の裁決が逸脱ないし濫用の瑕疵を帯びる場合には、前記のように、法務大臣の裁決が異議の申出が理由がないとの趣旨の場合には主任審査官は退令発付を義務付けられるものであるから、右裁決における瑕疵の違法性は法律上必然の後続行為たる退令発付処分に承継されると解すべきである。

九  そこで、被告大臣の原告に対してなした本件裁決につき原告指摘の瑕疵が存するか否かについて考えると、前記認定事実によれば、原告は韓国籍を有する外国人であり、昭和四五年一一月七日本邦に不法入国したものであつて令五〇条一項一号に「永住許可を受けているとき」、及び同項二号の「かつて日本国民として本邦に本籍を有したことがあるとき」にも該当しないことは明らかである。そこで同項三号の「法務大臣が特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」に該当するかについて考えるに、前記認定事実によれば、原告は韓国人であるが本邦で生れ、幼少の時母に連れられて韓国に帰り、満一九才の時、日本人西尾の子であるかの如く偽装して本邦に不法入国し、入国後、西尾の実子西尾兼安として西尾の戸籍に入籍されたこと、原告は、昭和四四年二月頃、日本人杉之原と同棲し、同年一二月一六日、杉之原の氏を称する婚姻届をし、三人の子供が生れていること、そしてこの三人の子供は、現在、三年間の在留許可が与えられている外国人であること、原告は入国後、職業を転々としたが、昭和四九年頃よりサルベージ業を始め現在に至つているが、同業を始めるようになつてからは経済的にも余裕が出て、西尾にも月々の仕送りをする等して交際を続け、現在は生活の基礎も固まり親子五人で平穏な生活を営んでいることが認められるところであり、原告の強制退去は家族の離散、西尾との別離及び日本人である妻の生活基盤を失わしめ生活不能に陥入らしめる虞があることも考えられるところである。然し乍ら、前示説示のとおり、西尾との関係は不正入国を偽装するためになされたものであり、杉之原との婚姻も、原告においては不法入国した事実を知つていながら結婚に踏み切つたものであり、杉之原においても不正入国の事実を原告から知らされ認識していながら結婚していたものであり、将来における強制退去による別離も予知できた筈である。原告は、本邦に入国してから本件処分を受けるまで約一〇年、杉之原と婚姻してから本件処分を受けるまで約三年の年月を経ており、二人の間には三人の子まで出来ており、我が国の社会に密着した生活基盤を築き上げたと云い、西尾との間には親子の愛情が存在し、それは切り離すべくもない強い絆で結ばれていると云うのであるが、西尾との関係がその主張のとおり親子同様の絆で結ばれていることが認められるとしても、これらの関係は原告の不法入国の上に築かれたものであり、その他前示諸般の事情を考え併せると、本件退令に伴い予想される家族の離散については同情すべきことは認められるが、なお、原告及び家族においてこれを受忍すべきものであると云うべく、被告大臣の前示広範なる裁量権に鑑みるとき、原告につき特別在留を許可すべき事由なしとした判断について、その判断が全く事実の基礎を欠き、又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるとは云えず、他に被告大臣の判断につき裁量権の範囲を逸脱し又はその濫用があつたと認めるに足る証拠はない。

一〇  そうだとすれば、被告大臣が原告に対してなした本件裁決は何ら瑕疵がなく、従つて、また、被告主任審査官がこれに基いてなした本件退令の発付処分にも違法の承継はなかつたというべきである。

一一  よつて、本件処分の取消を求める原告の被告らに対する本訴各請求はすべて失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中村捷三 住田金夫 池田辰夫)

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